特集記事:科挙の制度について

中国ドラマを見ていると、官僚登用制度としての「科挙」が必ず出てきますが、その歴史と仕組みについて。

●前漢7代武帝 
「郷挙里選」初めての任用制度をつくるも地方の有力者の息子たちが推薦されて豪族=官僚という弊害をうんだ

●魏の文帝(曹丕)
「九品中正法」地方の人材を9段階に分けて中央から派遣した中正官に推薦させる制度に改めたが、推薦制であるため結局豪族が官僚になったことは変わらない。世襲的に代々官僚の家柄を保持し、門閥貴族となった。

※余談
ドラマでは、「司馬懿軍師同盟」で司馬懿が曹丕から仕組みを考えるよう言われて、苦慮しながら「九品中正法」を作った経緯が描かれていました。

●隋 文帝
門閥を打破して広く人材を登用するために家柄より能力を重視して試験制での採用にかえた
598年に「科挙制」を実施。「科」=科目 「挙」=試験 20世紀末清朝まで続いた(1905年廃止)

2科目あり、
進士科=詩文。教養
秀才科=論文

※余談
楊氏は随州の出身でその流れで国名も随になったものの、漢字のシンニョウには流れるという意味があって縁起が悪いので「隋」と決まったそうです。隋と随の違いについては、ずっと疑問に思っていたので、目からうろこでした。

●科挙の仕組み
①隋・唐・五代 (郷試・省試の2段階)
 地方試験:郷試→合格者が中央の省試にすすむ
 郷試合格者を「挙人」、省試合格者を「進士」と呼び、主席を「解元」と呼ぶ

②宋・元(郷試・省試・殿試の3段階)
 三段階目として皇帝が選ぶ「殿試」が加わる 
 殿試まで合格して「進士」と呼ばれる
 殿試に不合格であったが優秀な者が異民族に引き抜かれるという弊害が出たため、北宋4代仁宗が殿試は全員合格で順位をつけるための試験に変更した

③明・清(郷試・会試・殿試の3段階)
 

●殿試の成績
 1位 状元(じょうげん)
 2位 榜眼(ぼうがん)
 3位 探花(たんか)
この3人を「三魁」と呼ぶ

●麻雀用語の「大三元」の語源
 地方の主席=解元
 中央の主席=会元
 皇帝の主席=状元

いずれの試験も主席だった者を3つの元で「大三元」と呼んだことが語源になっている

※余談
ドラマでは、科挙のあと「三魁」が決まると帽子に花をつけてパレードするシーンがありますが、男が帽子に花をつけるのをおしゃれと思う流行は宋の時代に始まったそうです。(ドラマ「遂玉」より)